オーストラリア旅行雑感 2012

今回のオーストラリア旅行で感じたことをつらつらと書いてみる。オーストラリアには25-49歳の現在までに6回、それぞれ5日間から3か月間の滞在をしている。これらの滞在での為替レートは約65-95円と30円程度の幅があった。厳密には定点観測にはならず、比較結果の正確さは怪しいが、色々と感じたことがある。

・日本の国力の衰え

1980年代後半のシドニーには駐在員、ワーホリ留学生、出張サラリーマン、旅行者などの日本人が沢山いた。今回のシドニーでは殆ど日本人をみることができなかった。ノース・シドニーには相変わらず日本企業のネオンはあるものの日本人がいない印象をもった。現在の為替レートでは豪ドルは米ドルよりも高い。街中でミネラルウォーター1本を買うと250円以上の値段を払わなくてはいけない。ちょっと前のEU諸国のようだ。ブランド商品も約10%の消費税を支払うと日本と同程度か、それ以上に高くなってしまう。(旅行者は帰国時に税金の還付を受けられる)

オーストラリアが成長し、日本人にとってもはや「おいしくない旅行先」になってしまったのか、「失われた20年」によって日本の国力が衰え、日本人にとっての「おいしい旅行先」を次々と失っているのか、ここで断じることはできないが、今後、研究しなくてはいけない。


・新興国の進出

今回、シドニー市内では、ロシア語、スペイン語、中国語を目や耳にすることが多かった。鉱山関係のビジネスでロシアからビジネスマンが来たり、アジア諸国からの移民がいたり、というのは今までのオーストラリアでもあったが、その量が増えている印象がした。25年前、飲食店の裏方やホテルのメイドなどの低賃金サービス業にはアボリジニが就いていることが多かったが、その職は中国人に奪われたような印象も持った。

アボリジニ向けの優遇政策が実施されているが、移民国家としてのオーストラリアにおける新興国の進出と原住民のアボリジニの関係は国内政策として重要になっている。しかし、白豪主義から脱却したオーストラリアでは低賃金で働く白人も多く、アボリジニ優遇政策は逆差別を生むこともある。(逆差別はインドの不可触民やアメリカの先住民への優遇政策でも国内問題になっている)

先進国のオーストラリアにとっては新興国の進出は痛しかゆしなのだろう。この辺りもいずれ研究してみたい。


・グローバリゼーション

世界がひとつになるという現象がグローバリゼーションだが、今回の旅行で日本のグローバリゼーションを肌で感じることができた。25年前、オーストラリアからのお土産リストには、牛肉やロブスターがあり、免税店で日本の食糧検疫をパスできる証明書付きの牛肉などを購入している日本人は一杯いたが、今では誰もいない。10年前、TimTamというオーストラリア産チョコレート・コーティング・ビスケットを日本へのお土産として買いあさっていた自分がいたが、今やTimTamは日本のスーパーで買える。

今回ほど、オーストラリア土産に困ったことはない。自分の趣味に合うようなものはすべて日本で買え、しかも、日本の方が、値段が安いのだ。日本の消費税5%の恩恵は、日本にいると判らないが、海外に出ると実感できる。このように貿易が自由に活発に行われ、グローバリゼーションが進んだことで、日本にいながらにして世界中のものを安く購入することができるのは、円高と商社とデフレのおかげだ。しかし、日本の国力が衰え、工業品の輸出で外貨が稼げなくなれば、こういった品物の輸入代金が支払えなくなり、デフレがハイパー・インフレに変わる日が来るのではないか、というシナリオがない訳ではない。


以上のように観光地としてのオーストラリアは、コアラやカンガルーなどの動物好きな人(=私)が「行って楽しむ国」であり、お土産目的の海外旅行先ではなくなっている。移民先としてのオーストラリアは魅力が多い。オーストラリアの移民制度は高度人材が有利になるように設計されている。しかし、どの先進国からも遠いというハンデがあり、国内産業も大きくない。新興国から頭脳が流出するための条件が良くないので、今後、急激にオーストラリア人気が高まることはないだろう。今回の旅行では、世界各国からの観光客を目にし、特に高齢な白人が多かった。温暖な気候で高齢者に優しい国で珍しい動植物がいる国として世界中の人が「一度は訪れたい国」で、農業や鉱業の産品を輸出する国としてほどほどの成長を続けるのがオーストラリアなのだろう。

グローバリゼーションが進み、世界中のどこに行っても同じような生活のできる環境が整ったとき、今の先進国はもはや急激な成長を望むことができず、日本のようにもがき苦しむことでより不況に陥っていくのではないか、と思える。オーストラリアのようにほどほどの成長をしていくことが重要なのかもしれない。

ちなみに今回のオーストラリア旅行での最大の収穫は、中2になる娘に英語を読み書き話せる重要性を感じさせられたことになる。今でも英語好きの娘だが、今後、生きていくためには英語でコミュニケーションができなければいけないと強く感じたことだろう。

業務分析くらいできるようになろう

東大の喜連川先生が名づけた「情報爆発」という現象が示すようにインターネットに接している人々は、自分の接する情報が自分の処理能力を超えて増えていることを知っている。Google先生のおかげで、人類はデータを細分化して保存する、という作業を放棄し、インターネットという大きな器にどっかーんとすべてのデータをいれて検索エンジンで探す方式のデータ分析手法を身に付けた。

これは非常に素晴らしいことで、自分の知りたいことを知りたいときに知ることができるようになった。しかし、グーグル先生の意志の元に情報が提供されるという弊害も同時に指摘されている。グーグル先生は神ではなく、いち民間企業にすぎない。

日常的な仕事は、定型業務と非定型業務からできている。非定型業務はグーグル先生方式で効率化することができたが、定型業務はグーグル先生方式では効率が悪いことが多い。定型業務の効率を上げ、空いた時間で知的生産を行うことが人類には必要だ。もっと卑近な例を用いれば、定型業務の効率化で残業が無くなってお父さんは新橋の焼き鳥屋でナイターを見ながらビールを飲めたり、企業はリーン生産方式により在庫を最小限にすることで利益を増やしたりすることができる。

定型業務の効率化は、定型業務を分析することから始まる。業務というのは、あるデータをインプットして、そのデータを変化し、アウトプットする、という作業の連続である。自動車工場であれば、鉄板をプレスして形状を変化させてボディにする、事務作業であれば、帳簿上で倉庫に在庫されている製品を引き当てて売り上げを計上する、というのが業務になる。

業務を構成する要素は、データと作業になる。あるデータをインプットして、そのデータを変化させ、アウトプットする、という作業は通常、プロセスと呼ばれるので、業務を構成する要素は、データとプロセスである、ということにしよう。データとプロセスを一緒にした業務という単位で分析を行うと業務パターンは何千、何万という単位になってしまい、人間の頭では把握するのが難しくなってしまう。

業務の中で使われているデータに注目してみると、同じデータが業務の中で何回も使われているのがわかる。データを中心にして業務分析を行うと、例えば、新規に従業員を雇ったときに新たな社員データが生まれ、その従業員が昇給・昇格したときや結婚・出産をしたときにその社員データは変更され、その従業員が退職したときに社員データは必要なくなる。同じようにデータを分析していくと、個々のデータは、登録・修正・削除、というアクションがあることが判る。

ここで、あるデータに登録・修正・削除を施すアクションに基本プロセスという名前を付けてそれぞれ定義してみる。社員データの登録基本プロセス、社員データの修正基本プロセス、という具合である。そうするとすべてのデータは、登録・修正・削除の3つの基本プロセスを持っていることがわかる。そして、業務というのは、この3つの基本プロセスを業務目的に沿って順序付けたものであることも判る。この業務におけるデータの登録・修正・削除を行う順番を描いたものをワークフロー図になる。ワークフロー図を描くことによって現状の業務がどのように行われているかを理解することができる。個々の作業の「見える化」の第一歩になる。ワークフロー図を描くことによって無駄な作業を見つけることができる。これだけでも日常業務の効率化に効果があるが、さらにそれを一歩進めてみよう。

図1:ワークフロー図の例

ワークフロー図を描いたら、その中のデータだけを抜き出してみよう。各データ間に関係を見出すことができる。例えば、給与データの中で使われている従業員番号は従業員データで登録されたもの、という関係を見出すことができる。データ分析では、従業員データとか、給与データというデータの集合体を個々のデータと区別するためにエンティティという呼び方をするので、ここでも従業員エンティティ、給与エンティティと呼ぶことにしよう。エンティティ間の関係は英語でリレーションシップという。データ分析で書かれる図のことは、エンティティ・リレーションシップ図(略してER図)と呼ばれる。

図2:エンティティ・リレーションシップ(ER)図の例

ER図は、エンティティ間の関係を表している。この例では、一人の従業員の給与データは支払年と支払月および給与・賞与区分毎に存在しているのが判る。「従業員番号X1405の2011年12月の給与」や「従業員番号X1405の2011年12月の賞与」という形だ。

このようにして、日常業務で必要なデータをエンティティとして定義していくと重複しているエンティティが見つかったり、分割すべきなのに分割していないエンティティが現れたりして、組織にとって効率的なデータの定義を行うことができる。

組織内のデータの定義が終われば、今度はそれぞれのデータの登録・修正・削除の基本プロセスをトップダウンに配置し、もっとも理想的な業務階層を作成する。この業務階層は組織に最適なデータの定義から導き出したものであるのでもっとも効率の良い業務だが、様々な理由から実現するのは不可能な場合が多い。しかし、このもっとも理想的な業務階層を改造して新たな業務階層を作ることによって現実的な業務階層および組織を創り出すことができる。

図3:もっとも理想的な業務階層図

以上、説明してきたのは、1980年代に流行ったインフォメーションエンジニアリングのデータ分析と業務分析の手法である。このあと、データ分析と業務分析をマトリックスなどによって分析する相互作用分析を行うことでより理想的な業務を設計することができる。今から30年前の方法論だからと言って侮るなかれ。今はやりのクラウド上の業務アプリケーションシステムを構築する際の分析・設計工程はインフォメーションエンジニアリングなどの構造化分析・設計手法を基にしていることが多い。

さぁ、皆さんもデータ分析・プロセス分析を身に付けて、効率的な仕事をこなして、余暇を楽しもう!

本当に「英語」は必要ですか?

本屋に行けば、英語教材が山のように置かれていて、テレビでは有名な若手プロゴルファーが世界に出ていくために父親が与えてくれた英語教材の宣伝をしている。老若男女、誰に聞いても「英語を話したい」や「英語を勉強したい」という答えが返ってくる。

どうしてなんだろうか。英語ができるってそんなに素晴らしいことなんだろうか。私が49年生きてきた人生の中で本当に英語が必要だったときは、アメリカ人など英語圏の人間と仕事をするときやプライベートで友達になるときだけだった。正確に測ったことはないが、英語が必要だった時間を合計しても49年のうちの1-2年にしかならないのではないだろうか。

私は帰国子女でない日本人の中では英語を使うほうの人間だと思う。今のTOEICの点数は825点である。正直、低い。なので、英語ができるとは思っていない。

大学時代は、横須賀の米軍基地で31アイスクリーム店やピザハウス、コーヒーショップ、ステーキハウスで米兵相手の接客のアルバイトをしていた。最初は全く英語ができなかった。高校時代の英語の成績が10段階で2をとるくらいの英語嫌いだった。そんな私がいきなり英語を使うアルバイトをした。最初は31アイスクリーム。アメリカではバスキンロビンズと呼ばれている。しかし、発音は、「ばすきん らびんず」に近い。バイト仲間のハーフの女の子が、ひらがなでよく「ばすきん らびんず」と書いていたので英語ネイティブな彼女にも「ばすきん らびんず」と聞こえていたのだろう。4年間米軍基地で英語を使っていたおかげでヒアリングはものすごくできるようになった。大学4年のときのTOEICの点数は650点位だった。

社会人になってからは、27-8歳でテキサスインスツルメンツに勤務し始めたときに英語を使うようになった。アメリカで販売されている製品を日本で売るコンサルタントをしていたのだが、製品を理解するには英語のマニュアルを読み、外人講師から英語で製品のレクチャーを聞くしかなかった。30歳位のときのTOEICスコアは740点位だった。

その後、外資系IT企業を渡り歩くのだが、日本に来ている外資系企業では英語を使う機会はそう多くない。これは部署やポジションによって全く異なるが、外資系企業が日本に来ている目的を考えれば納得できる。彼らは日本人にモノやサービスを売るために日本に来ている。日本語で日本人に自社製品やサービスを売ることができる人が求められている。

TOEICに頼る日本企業

TOEICは、本来、英語圏に飛び出していくとき、いわば、英語で生きる手前の実力を知るためのツールである。しかし、日本では企業が英語力の指標として使っている。多くの帰国子女が900点以上とるレベルの低い試験だが、英語で生きていない日本人の実力が低いのは仕方ない。企業が、社員の優劣を決めるのになぜ、英語の試験を使うのか、ということを研究したことがないので想像でしかないが、大企業での人事管理に紐付いていると考えられる。

大企業では円滑な経営をするために企業内の序列を保つ必要があり、官僚的な社員が現場の社員を管理している。官僚的な社員は、総合職として採用される人間の中でも上位=良い大学=東大・早慶上智クラスの者である。しかし、企業における日常業務では学歴によらず、優秀な働きをする社員が出てくる。本当の実力主義ならこういった学歴は低いが優秀な社員が経営に携わるべきだが、悲しいかな、それでは企業経営はできない。現場で優秀なのと、経営者で優秀なのは別の能力が必要となる。やはり、経営者もしくは経営者を支える社員にはお勉強ができる者が適している。そこで、全社員が受けるTOEICが必要となる。

大企業内では、新卒採用から昇給・昇格レースが始まり、35-40歳で管理職になる。同期社員はライバルであり、誰が最初に管理職になるか、というのが大きな関心事になる。偏差値の低い大学出身の営業が良い成績をあげ、偏差値の高い大学出身の営業が悪い成績しかあげられないというのは良くあることだが、20年後、30年後を考えると学歴の高い者を出世させておかなくては良い経営者がいなくなってしまうかもしれない。そこで、全社的な成績のものさしとしてTOEICが登場する。学歴の高い者はTOEICで良い点を取ることができる。TOEICは英語で生きる前提となる基礎的な英語力のテストなので、お勉強をすれば確実に高得点をあげられる。いわば、学生時代の延長なのである。営業成績の良い社員と営業成績はあまりよくないけどTOEICの点が高い同期社員を一緒に昇進させれば不満はでない。「なんで、あいつが、昇進するの」「ああ見えて、英語できるらしいよ。この前のTOEICで高得点だったらしい」「じゃ、しょうがないか」ということになりやすい。「そんな馬鹿な!」と思うかもしれないが、皆さんのまわりもこんな感じではないでしょうか。そうでなければ、これほど、英語教材が売れる訳がない。

TOEICに頼っている企業や日本社会に憤っている某先生は、このあたりを見誤っている。本当に英語を身に付けるにはTOEIC教材を使わない方が良いのはその通りであるが、多くの日本人ビジネスマンにとって英語を身に付けるよりTOEICで高得点をあげるほうが重要なのである。先に指摘したように多くの日本人ビジネスマンは日常業務で英語を使わない。企業に、経営者に、人事部に認めてもらうには、日常業務での好成績とTOEICでの高得点が必要になる。本末転倒ではあるが、実際のところ、こんな感じでTOEICがもてはやされている。

あなたは、読点(、)を間違えずに打つことができますか。

私はTOEICうんぬん以前に日本人は英語ではなく、日本語を学ぶべきだ、と考えている。日本人の大多数は日本国内でビジネスをしている、もしくは、日本国内でビジネスをすることになる生徒・学生だ。もっとも重要な言語は日本語であり、日本語できちんとコミュニケーションをとることがもっとも重要なはずだ。しかし、私を含めた多くの日本人は読点(、)を間違えずに打つことができない。いったい、日本の国語教育はどうなっているのだろうか。

Twitterの140文字を使って自分の言いたいことをフォローワーに伝えることができる日本語力がその人のコミュニケーション力だと考えることもできる。ハイパーリンクや連続ツィートに頼ることなく、140字で自分の意見を述べ、フォローワーに誤解されることなく、その意見を理解させる、という日本語力を身に付けることで、日常業務が楽に進むようになる。出世だって見えてくる。きちんとコミュニケーションが取れなくて生まれる誤解があなたの印象を悪くし、業務成績を低くしているのではないですか。

私のTOEICの点が650点から825点に伸びたのは英語の勉強をしたからではなく、日本語の勉強をしたからにほかならない。個人的にはもう少し日本語を勉強してから英語の勉強に移ろうと思っている。このブログの目的は英語の勉強をするな、ということではなく、日本企業におけるTOEICの位置づけを理解し、それはそれで活かしつつ、日本語の勉強をしてコミュニケーション力を身に付けたほうがいいですよ、ということです。私の拙い日本語力ではうまく表現できなかったかもしれませんが、、、

新卒一括採用廃止論に惑わされるな!

東大の脳科学者の先生や学生などによる企業の新卒一括採用批判がソーシャル・メディアをにぎわしている。新卒一括採用は日本経済が停滞している理由 の一つであり、即刻、廃止しないと、グローバル社会で生き残れないよ、という風潮が生まれつつあるが、果たして、その通りなのであろうか?

確 かにトップクラスの学生にとって、新卒一括で採用され、「その他大勢」と一緒に3-6か月の新入社員研修を受けるのは苦痛である。終身雇用が保障されない 時代に企業風土や文化を身に付ける、ということに意味を見出すのは難しいかもしれない。彼らが新卒一括採用を廃止に追い込みたい気持ちはよく分かる。新卒 一括採用が無い方が自分達には都合がいい。東大の9月入学だって新卒一括採用がネックになるので排除したいという思惑もわかる。

GMARCH以下の学生はどうなるのか?

「日 本以外の先進国では新卒一括採用の風習はなく…」というのは良く聞くが、日本以外の国で日本の新卒学生ほど恵まれた就活はない。ドイツやフランスでは、既 卒者との競争でポジションを獲得しなくてはならず、苦労して獲得したポジションも期限付きであることが多い。アメリカには日本のような新卒一括採用はない が、インターン制度が充実しており、実質上、インターンが就活であることが多い。私のいたOracle Corporationで新卒採用されたアメリカ人数名に話を聞いたが、皆、学生時代にOracleのインターンを経験していた。新卒一括採用廃止論者で これらを指摘する者は少ない。

アメリカの大手企業の人事Webサイトには新卒採用のページがある企業が多いことも指摘しておこう。 Salesforce.com社は、クラウド・アプリケーションの大手であるが、2012年の新卒向けの採用ページが開設されている。 (URL: http://blogs.salesforce.com/community/2012/01/dreamjob-start-your-career-at-salesforce.html ) 形式は違うもののアメリカにも日本の新卒一括採用に似た採用形式が存在しており、それがきちんと機能していることも理解しなくてはいけない。

日 本でも新卒一括採用という風習の無い大学教員の就活は悲惨だ。大学院を出てすぐに正規教員となることは難しく、3-10年の非常勤講師生活を経て、期限付 き助教になり、40歳前後でやっとテニュアという終身雇用権利を手に入れる。しかも、私のように企業出身者が彼らのテニュアを奪うことも少なくない。新卒 一括採用の廃止によって、すべての職業がこうなっても良いとは思えない。

今、グローバル社会で元気の良い新興国の事情はどうなんだろうか?

イ ンドといえば、IITなどからグローバルレベルの人材が輩出され、アメリカやヨーロッパで活躍しているイメージが強いので、新卒一括採用なんてない、と思 われているかもしれないが、内情は違う。IITなど世界レベルの大学がある一方で、それ以外の高等教育機関の遅れはひどい。Mark A. Dutz編[2008]『転換を迫られるインドのイノベーション戦略』世界銀行によれば、多くのインドの高等教育では、「市場に関連した知識創造のスキル の移転が不十分」である。(22ページ) 世界銀行は、インドの人材育成にかんして、民間企業、高等教育機関の双方で多くの改善を求めている。

イ ンドの大手企業は知識不足の学生ではなく熟練技術者を新卒採用するために大学に一種の寄付講座を開設している。ジテンドラ・シン他[2011]『インド ウェイ 飛躍の経営』英治出版によれば、インフォシスは、インド国内300校以上の工科大学との間に「キャンパス・コネクト」という協力体制を結び、イン フォシスによってある程度教育された教員がインフォシスが創造したカリキュラムを教える体制を整えている。

これは日本企業における新卒教育のアウトソーシングであり、入社前に自社の目的に沿った訓練を施した学生を採用することで即戦力社員としている。新卒一括採用してから訓練するよりも訓練の終わった者の中から優秀な新卒学生を一括採用しているのである。

今の日本社会で新卒一括採用だけを辞めてしまったらどうなるのであろうか?

イ ンターン制度に消極的な企業が多い日本では、企業から正当な評価をうけずに就職できない新卒学生が増え、既卒と同一に扱われることで労働者の供給数が増 え、新卒専用だったポジションが新卒・既卒で応募可能なポジションとなり、供給過多となる。企業側から見れば、経験のない新卒を正社員として雇うリスクを 冒すことはせずに経験者の採用を優先し、経験なしの場合は期限付き採用で様子をみてから正社員にするという行動に出ることは明白である。

今 まで述べたことだけでも、新卒一括採用を廃止することが、トップクラスを除く多くの学生にとって不利になることはお分かり頂けるだろう。「新卒一括採用で の就活に失敗した者はどうなるんだ」という声が聞こえてくるが、失敗した者を救うために新卒一括採用を廃止せよ、というのは本末転倒であり、弱者に合わせ て失敗したゆとり教育の思想と共通するものがある。新卒一括採用失敗者のセーフティネットは既卒者の失業対策を活用すればよい。

大学教育の見直しは必要

そ もそも新卒一括採用での新入社員研修は、新卒学生が即戦力となっていないからであり、これを是正したいのなら、インドのように大学教育の中に民間企業の要 望を取り入れなくてはいけない。これは多くの大学にとって苦痛であり、実施されるまでにはクリアしなければならない壁がいくつもあると考えられる。大学を 就職予備校とすることの是非は考えなくてはいけない。

企業がインターン制を定着させ、大学が多くの民間企業のカリキュラムを実施することができるようになって、即戦力の新卒が生まれることで、初めて新卒一括採用の是非が議論できるのではないだろうか。

今、多くの学生にとって不利になる新卒一括採用廃止論に惑わされてはいけない。

IT外資系企業に踊らされた日本企業によって日本は沈んだ

「グローバリゼーションに乗り遅れたくなかった。。。」 こんな恨み節が日本企業から聞こえてきそうだ。1991年に日本で不動産バブルが崩壊して企業業績が低迷していた時期、私はアメリカ系IT企業の日本子会社で働いていた。

業績が低迷している日本企業は、業務効率化のためのソフトウェアを喜んで導入した。当時の日本企業の情報システムは独自仕様のものが多く、業務分析・設計・プログラミング・テスト・本番稼働という作業を経て顧客オリジナルな情報システムを構築するのが当時のやり方だったが、そこにインフォメーション・エンジニアリング(IE)というシステム標準化方法論を持ち込んだのは私の居たテキサス・インスツルメンツだった。

IEはいわゆるデータ中心型の構造化分析・設計を行う方法論で、企業内の業務をトップダウン分析し、企業内で使われてるデータをエンティティ・リレーションシップ・ダイアグラムで分析し、その企業のデータモデルを作成することが出発点であった。そのデータモデルの中の個々のデータを生成・更新・削除(CUD)するプロセスが日常業務で行われている基本的なプロセスだと定義し、日常業務は、そのプロセスを連続させてプロシージャ―にすることによって効率化された日常業務となるというものだった。IEの思想は企業システム標準化に力を発揮し、その後、オラクルなどに採用されたことによって、企業システムの主流はデータ中心型トップダウン構造化アーキテクチャとなり、現在のクラウドに至っている。

現代のグローバリゼーションというのは、アメリカン・ビジネスを標準形として世界中のビジネスを同じやり方で見えるようにする過程のことである。アメリカ主導で世界的な会計基準を定め、その会計基準に則った形にビジネスのやり方を改めるという作業が多くの日本企業で行われたが、その作業こそ、オラクル、IBM、SAP、マイクロソフトなどのIT外資系企業が日本企業に売り込んだものである。

ある日系生保の情報システム課長が私に言った言葉が当時を象徴している。彼は「国産ベンダーに頼んで失敗したら私の責任になるが、IBMに頼んで失敗したら誰がやっても失敗した、ということになるんですよ」と言った。2001年に同時多発テロが起きるまでのアメリカは世界中のお手本で、EUの反発はあったもののソ連亡き後のアメリカの勢いは誰にも止められなかった。

コンピュータ2000年問題が一服し、同時多発テロが起きたあと、2000年問題解決に尽力したインド人エンジニアは、その過程で身に付けたアメリカン・ビジネスのやり方を使って、バックオフィス業務をコストの安いインドで行うことを提案し、大手アメリカ企業もインドに進出を始める。データ中心型トップダウン構造化システムは、業務の分割を容易にした。責任分界点を明確にしたまま、日常業務の一部を外部企業に委託するオフショア・ビジネス・プロセス・アウトソーシングが開発され、アメリカのバックオフィス業務はインドに持って行かれた。

日本の大手企業はシステムの独自性から当初はオフショア・ビジネス・プロセス・アウトソーシングが困難であったが、IT外資系企業の口車に乗って、グローバル標準のアプリケーション・システムを導入し、オフショア・ビジネス・プロセス・アウトソーシングが可能になった。

こうして、IT外資系企業は日本企業にグローバル標準をもたらした。その結果、日本は20年にも及ぶデフレ不況に陥り、景気回復は全く見えていない。

ITが日本にもたらしたモノは、いくつかある。

  1. 業務効率化⇒アウトソーシング⇒バックオフィス業務のオフショア化⇒間接部門のリストラ⇒家計の圧迫⇒需要減⇒デフレ不況
  2. グローバルSCM⇒部品の海外調達⇒工場の倒産・海外移転⇒従業員の解雇⇒家計の圧迫⇒需要減⇒デフレ不況
  3. 業務の標準化と見える化⇒業務・会計の世界標準化⇒経営の透明化⇒海外企業による日本企業買収⇒知的財産権やノウハウの海外流出⇒用済みになった国内固定資産の売却⇒国内事務所の閉鎖⇒従業員の解雇⇒家計の圧迫⇒需要減⇒デフレ不況

結局、日本は、不動産バブル崩壊後に景気回復のため、IT外資系企業に言われるままに業務効率化をせっせとこなし、グローバリゼーションを推進した挙句、 仕事を海外に取られ、多くの仕事の無い労働者を生み出し、国内の活力が無くなり、20年にも及ぶデフレ不況が続いている。

AKB48ちゃりんちゃりんビジネスモデル

6年前の始まりは静かなものだったAKB48は、今や露出過多とも言えるほど売れている。今年のタレントCM起用社数ランキングでAKB48メンバーが上位を独占し、CDを出せば、あっという間にミリオンセラーになる。いったいAKB48の何がウケているのであろうか。AKB48メンバーはとびぬけた美人ばかりという訳ではないし、全員スタイルが良い訳でもない。女子大の教員である私の目から見れば、うちの学校にいそうな普通の10代、20代の女の子達だ。もし、彼女達が私の授業に紛れていても私は彼女達がAKB48のメンバーだとは認識できない。(ちなみに私はAKB48ファンの娘を持つ父親で、娘と一緒に今年の“総選挙”を観に武道館に行った。うちのTVの前には世界地図と一緒にAKB48のメンバー全員が載っている雑誌があり、TVに出ているメンバーが誰なのか、すぐに調べられる環境にいるので世間一般のお父さん世代よりAKB48メンバーの個別認識はできている、と思っている)

 彼女達は、ただ歌っているアイドルではなく、芸人顔負けの過酷なロケをこなすタレントとしてお茶の間への露出を増やしてきた経緯がある。「ムチャ振りをガチにやる」のがAKB48の売りのひとつである。例えば、彼女たちにとってアカマタという毒はないけどすぐに噛む蛇を掴んでみたり、ゲテモノを食べて見せたりすることは日常茶飯事である。渋谷の109の前でゴム手袋を顔に被って鼻息でそれを膨らまして割る(その時の撮影は遠方からのもので109の前にはAKB48のメンバーが一人しかいない状態)、という新人芸人でも断るような仕事をしてきたメンバーもいる。「アイドルになりたい」や「芸能界で成功したい」という彼女達の気持ちを利用して「こんなムチャなことをガチでやったらウケるよ」とそそのかして、やらせている面があることは否めない。

AKB48がこれだけ世間を騒がせているのは、プロデューサー側の仕掛けがうまいからだろう。彼女達はあれだけ激しいダンスを踊りながら息をあげずに歌う力を持っていないので、口パクが多用されている。歌の上手くない彼女たちのために音域の狭い曲をヒットメーカーが作ることで、素人がカラオケで歌いやすい歌にもなっている。本来であれば、マイナスになる要素をうまく組み合わせてプラスに変えている。

 AKB48ビジネスモデルは、アイドルになりたい少女達を集め、AKB48を結成して専用劇場を中心にした活動を行い、TV上でムチャ振りをガチにやらせて世間の注目を集め、CDおよび関連グッズの売上で稼ぐ、というモデルをベースにして地域別のフランチャイズ制をとっている。姉妹グループという位置付けで名古屋(SKE48)、大阪(NMB48)、福岡(HKT48)にフランチャイズ展開している。東名阪福というのは、東京で始めた企業が大きくなる時の全国展開と同じ経路である。この後は北海道に展開すれば全国制覇、ということになる。さらに東南アジアにも進出し、現地企業にフランチャイズ展開し始めている。ここまで来ると知識ビジネスの多国籍化現象として経済学者が研究してもおかしくないレベルである(とこれを書いている自分への言い訳)。

 AKB48が成功しているひとつの理由にメンバーの所属事務所がばらばらである、というのをあげることができる。彼女達がひとつの事務所に所属していたらこれほどの人気を獲得していなかっただろう。「出る杭」を叩くのは芸能界に限らず、ビジネスの常識であるので日本社会を席巻するような人気が出る前につぶされていたに違いない。しかし、AKB48のコンセプトのひとつにAKB48を卒業していく、という考え方があり、当初、AKB48はアイドルを育てる学校という位置付けであったため、AKB48メンバーはその母体の事務所にずっと属しているのではなく、様々な芸能事務所に所属するようになった。そのため、Winner Takes All ではなく、Win-Winの関係が生まれ、「AKB48を叩くのではなく、一緒に儲けよう」という空気が醸成された。ちなみにAKB48の派生ユニットは、同じ事務所のメンバーで構成されていることが多い。

 さらに今回、AKB48の各メンバーは、Google+で情報発信を始めた。近年、アイドルのブログを読む、という行為がファンにとってアイドルを身近な存在にしたが、Google+で彼女たちをサークルに入れてフォローし、彼女たちの発言や写真、動画をタイムライン上でみるという行為はアイドルを友達に変える効果がある。彼女たちはファンのことを決して「キモイ」とは言わず、「かわいいねぇ」といえば、「ありがとうございます」と言ってくれる存在であり、ファンにとってはお金をつぎ込む価値のある存在になっている。これは、男性がキャバ嬢に、キャバ嬢がホストに、イレ込む現象と同じではないか。リアルな恋愛をして充実した生活を送るリア充とは別物の世界。

 秋元康氏が中心になって始めたAKB48ちゃりんちゃりんビジネスモデルは、(1) アイドルになりたい少女を集めてムチャ振りをガチでやらせて人気者にし、(2) 大手芸能事務所に彼女たちを分散して所属させて芸能界の利益分配を適正化し、(3) 地域フランチャイズ制で本部の儲かる仕組みを構築した、ことで大きな成功を収めている。

 しかし、この先どうなるかは、神のみぞ知る。

キャリアデザイン

皆さんは、ご自身のキャリアをどうお考えだろうか。

私は、根なし草で転職を繰り返しながらも自分の好きなことをしてきた。そして、今、大学教員をしている。 自分のキャリアをどうデザインするか、なんていうのは自分で決めることで他人がとやかく言うもんじゃないが、昨今の大学ではキャリア教育というのが文科省からのお達しで行われており、私もキャリアデザインという授業を受け持っている。

キャリアデザインというのは、学生生活を終え、正規雇用で企業や団体に就職し、一生の糧を得るための知識を学ぶ授業だ。経済学、経営学、社会学の要素を組み合わせて、社会の仕組みや企業経営、職業選択の仕方、仕事とは何か、ということなどを学ぶ。

たとえば、大学卒業からの生涯賃金を比較すると、パート等だと約45百万円、派遣社員だと1億円、正社員だと約2億円となる。

また、結婚を考えた場合、男性の平均寿命が82歳で女性は88歳、結婚時には男女の年齢差が平均で約3歳あるから、女性は79歳の時に旦那さんを亡くして、その後、約9年間は一人暮らしになる可能性がある、なんていう話もする。

女子大ならではなのが、出産と子育てに関する話。子供を一人産んで22歳まで育てると平均13百万円かかる。私立などにいれれば、もっともっと出費は増える。

最後に夫婦二人の老後資金の話。最低限度の生活をするには月額約24万円必要で、よゆうある暮らしなら月額38万円必要になる。老後の必要総資金は、最低限度で約65百万円、よゆうある暮らしで約1億円。正規雇用者で現行の年金制度のままいけば、年金額は約63百万円になり、最低限度の生活ならほぼトントンになり、よゆうある生活だと約4千万円足りない。これが自営業者や派遣社員(つまり、国民年金しか納めていない層)だと不足額は最低限度の生活でも約3千万円、よゆうある暮らしなら約67百万円不足する。

これらの統計話しと自分自身の体験談を交えて、社会人っていうのは学生が考えているより大変なんだよっていうことを学生に理解させ、就職活動をきちんと行う精神力を養っている。

いろいろな大学の先生とお話していても、最近の就活生は企業訪問で痛い目にあうとすぐに就活をやめていしまう学生が増えているという話題がでる。そして、安易にフリーターやニートの道にいってしまう。

フリーターはまだ働く意欲があり、なんとか正規雇用に就きたい、という願望を持っている者が多いのだが、ニートはなまじっか親が子供の面倒をみる余録があるせいか、働く意志を持っている者が少ないように思える。、

就職活動を行う時期がくるまでに現状の社会状況を鑑みて、その上で自分が何をしたいか、ということだけは考えられるようになってほしい。

(本音を言えば、キャリアデザインの勉強する前に国語の勉強をして、相手が何を言っているか、自分の言いたいことが相手に伝わっているか、が判るようになってほしい。コミュニケーション力を育てるには国語力が大切)

ローリン、ローリン、転がる石になる過程が大事

「君はまだまだ原石だ。これから社会の荒波にもまれて磨かれていくんだよ」なんていうことを言う大人は多い。今日は、人間の一生を石に例えて考えてみよう。

人間は生まれて少し経つと自我が芽生えてくる。「ああしたい、こうしたい」という欲求が湧き上がってくる。この欲求が多いほど人間はとんがった角を持ったごつごつした原石になる。

この原石のごつごつを削るのが、社会の荒波というやつだ。社会の荒波は、社会の風潮と言っていいかもしれない。自分の周りの共同体の常識が社会の風潮。だから、常識と言い換えてもいいかもしれない。常識はずれな奴、KYな奴といわれると、最初は反発していても、そのうち、常識を受け入れて空気を読める奴に変化することを「成長する」という。

原石はいつまでごつごつを成長させるのだろうか。小中高と学校生活を重ねていくことは、このごつごつを成長させる期間を過ごすことであるが、常識を学び始めてごつごつが削られ始める時期でもある。多くの人は大学にいるときに20歳になり、ごつごつの成長は止まり始め、反対に常識によってごつごつが削られる量が多くなる。

企業に就職し、さらにごつごつは削られ、30代半ばにして「転がる石」になる者が多い。円熟という言葉が心地よい響きになる頃には「近頃の若者は、、、」という常識おじさん・おばさんになっている。そして、50代にもなると若者のごつごつを微笑ましく眺められるようになる。

社会で成功するには、このごつごつの成長と削られ具合が重要だ。リーダーシップをとる、というのは一種のごつごつを獲得する方法だが、同時にチームをまとめる苦労をすることによってこのごつごつが削り取られる。

幼少から色々なことに興味を持ち、学校生活の中でさまざなな失敗することでごつごつの成長と削り取りが行われる。しかし、のほほんと学校生活をつづけてしまうと、ごつごつは成長せず、削り取りも行われない。結果として、大学卒業時には、この両者は見た目が同じような石になっている。しかし、社会に出てサラリーマンとなったときに歴然とした差が現れる。削りかすが多い人ほど組織運営に向いている。中々削れない強靭なごつごつを持っている人は起業家となって社会を変えていく力を発揮する。しかし、ごつごつが少なく、削りかすもすくない奴は使い物にならない。

実は、新卒採用時の面接やテストでは、あなたのごつごつの成長具合と削られ具合が測定・評価されているのだ。自分自身がある程度のごつごつを持ち、それを削ってきた経験のある試験官や面接官は第一印象であなたのごつごつの成長具合と削られ具合を肌で感じ、「こいつなら俺の隣の席で働いても問題がなさそうだ」という印象を持つのだ。面接でよく出る「リーダーシップの経験談」という質問は、ごつごつの成長具合と削られ具合を見極めるための質問だ。

さぁ、色々なことを経験してごつごつを増やし、失敗してごつごつを削ろう。その削りかすは単なるゴミではなく、貴重な経験となってあなたに深みを与える。そして、光り輝く「転がる石」となることができるのだ。

新しいブログを始めてみる

今まで何度となく挫折したブログ。今回は、国際労働力移動の進化形を模索することを目的に書いてみる。

最近話題のデジタル・ネイティブ。彼らには生まれた時からバーチャル社会があった。デジタル・イミグラントな私たち大人は、リアル社会とバーチャル社会を区別して考えるが、デジタル・ネイティブは区別して考えない。バーチャル社会もリアル社会の一部としてとらえている。

いや、その考え方は、デジタル・イミグラント固有のものだ。実際にはバーチャル社会はリアル社会よりも何倍も大きいのだからバーチャル社会の一部にリアル社会があるのかもしれない。

リアル社会の3D+時間軸の外側に経度緯度高度の違う地域が広がり、そのそれぞれに人々がいて、インターネットでつながっている。これだけなら、個々人のリアル社会の大きさの違いと認識できなくもない。しかし、バーチャル社会には時間軸もある。過去の活動を簡単に見ることができる。未来は相変わらず見ることができないが、バーチャル社会では現在過去の緯度経度高度を自由に操ることができる。

このバーチャル社会の4Dの中で生まれ育ったデジタル・ネイティブは、グローバル経済を大きく変える存在になるだろう。彼らを研究することで、国際労働録移動や先端技術の伝播について新しい知見を得られる。

まぁ、私たち、デジタル・イミグラントができる悪あがきに過ぎないかもしれないが。。。

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大妻女子大学人間関係学部社会学専攻准教授ですが、ここでの発言は、カクテルパーティでの会話に近い、軽いものです。数年前まで外資系ビジネスマンでしたので純粋な大学教員ほどの見識はありません。40代既婚子持ちおやじの戯言です。元TIerで元オラでもあります。

twitter.com/DannaNanda

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